2011年3月22日 09:56
永井涼子さんからもコメントが寄せられましたので、ご紹介します。
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震災後、いかがお過ごしですか?
皆様のご無事を心よりお祈りしています。
毎日、誰もが被災地に思いをはせたり、原発のことで不安になったりしながらも生きているのだろうなと感じています。かくいう私も小さなことですが、ろうそくに火を灯して停電が終わるのを待ったり、通らない電車に落胆したりしながら日々が過ぎていきました。
そのなかで、フィンランドの友人たちは日本のことを心配してくれているようです。連日、ふだんはメールを書かない人も「いつもあなたと日本のことを思っているよ」というメッセージが届き、なかには「原発が危ないから、いつでも私の所に家族とおいで!」というものまでありました。一番気がかりだったのは、原発事故後の「ヨウ素タブレットをすぐに飲んで!」というものでした。思わず、買いに行きそうになりました。ただ冷静に、ニュースを見ていたらこれはお医者さんの処方箋も必要で、被災地から遠く離れた人が飲んでも、しかたなしと知りました。
後日、日本在住のAさんが、「フィンランドの薬局ではヨウ素タブレットが売り切れたらしいよ」と教えてくれました。「え、海のかなたなのに!?」とちょっとびっくりしてしまいました。やっぱり、フィンランドのお隣の国で起きた「チェルノブイリ原発事故」を経験しているから、きっと多くの人が薬局に走ったのかなとちょっと考えてしまいました。
永井涼子
2011年3月22日 09:43
3月11日の地震、及びその直後の大津波のために被害を蒙った多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
皆様、そのとき、どうしていらっしゃいましたか?
いつもと変わらないひと時が次の瞬間このように激変するなど、頭では、「あり得る」と思っていても現実にそうなるなど、やはり信じられませんでした。
地震・津波に原発の放射能漏れまで重なって、不安は大きいですが、甚大な被害の中で復興に向けて努力していらっしゃる被災地の応援ができるよう、考えてまいりたいと思います。
2011年3月 9日 00:01
今の季節は、暖かになったかと思うと、急に雪が降ったり、不安定で、油断がなりません。
体調を崩さないように皆様お大切に。
一番に咲く花 レスケンレフティ
最近、暖かくなってきました。かわってフィンランドでは、とくに今年は冬が冬らしいそうで、雪はまだ降り積もっています。かの地に住む友人の一人は、先週のお休みを利用して、太陽をもとめてポルトガルに旅立っていきました。
フィンランド南部では雪がとけ、花が咲き始めるのは4月頃のことです。太陽がさんさんと照り、そこから黄色いタンポポにも似た花が顔をだしはじめます。この花は、春の到来をつげる花で、それを見つけた人はいつもうれしそうです。地味な花ではありますが、長かった冬がようやく終わったとほっとさせてくれる花なのでしょう。
この花の名前はフィンランド語でleskenlehti レスケンレフティと呼ばれています。Leski(レスキ) とlehti(レフティ)二つの単語が合わさってできています。レフティは葉っぱという意味ですが、レスキはなんと、未亡人という意味です。春を告げる花がどうしてこんな名がついているのかと、はじめはびっくりしました。あくまで私の憶測なのですが、この植物の生長とどうやら関係がありそうです。この植物は花をはじめにつけ、しばらくは大地のうえには黄色い花だけをのぞかせています(葉っぱは後にでてきます)。それが女性だけがいるように見えるのかもしれないなと感じました。春が来るたびにこの名前は気になります!
永井涼子
http://fi.wikipedia.org/wiki/Tiedosto:Coltsfoot.jpg
2011年3月 6日 01:42
道を歩いていたら、ふんわりと沈丁花の香りがしてきました。見上げると満開の梅。日差しは、すっかり春です。
時間があったら、いつも行かないところへ出かけてみるのもよいですね。近郊の山に自然を楽しみに行くのも良いですが、都会もきっと良いですよ。
久しぶりに駒場の民藝館に行きました。
今の展示は、「日本の古人形」です。http://www.mingeikan.or.jp/html/exhibitions-events-mingeikan.html
江戸後期から幕末にかけて作られた張子細工(三春人形)や土人形(相良人形・堤人形)、布や紙や木に練り物を使った鴻巣人形など、館蔵する約100点あまりの展覧会です。
時代の古さは感じますが、庶民のお人形だけに気取ってなく、親しみやすく、ユーモラスな表情をしていてなんだか気持ちが和みました。どれも小さく、ポスターになっている関取の人形は、身長が20cmもないくらいで、あまりに堂々と写っているポスターとのギャップがなんだかおかしかったです。
これだけの郷土の人形を一度に見られるのは、そうそうないと思いますので、ぜひ、お時間があったら、ご覧になるとよいですよ。(3月21日まで)
2011年3月 3日 01:28
なんとうっかりしたことでしょう。先日、フィンランドのバレンタインデーの文を寄せてくださった永井さんから「カレワラの日」に寄せての文章を頂いていたのに、肝心なその日を逃してしまいました。
2月28日が、カレワラの日でした。永井さん、ごめんなさい。遅ればせですが、ご紹介します。
カレワラの日
「空気のようにまるでそこにあることがあたり前のようで、じつは、かけがえのないものだった」と、ふり返ると誰でも一つくらいは頭をよぎるのではないかなぁと思います。それを実感するのは生まれ育った場所から遠く離れた時ではないでしょうか?友達のフィンランド人Aさんは日本に来てもう長いのですが、帰国のたびにフィンランドから、黒パンやソースなどの類をトランク一杯に詰め込んで帰ってきます。かつAさんは、ここ最近カンテレ(民族楽器)を習い始め、古い詩を歌っている音楽を聞いたりしているようです。たしか、フィンランドでAさんが学生だった時、日本語の漢字を勉強しまくっていたよね?と、なのでAさんの変貌ぶりを意外に感じました。(ただ私にも、身に覚えがあります。恥ずかしながら、無性にお豆腐とお味噌汁が食べたくなる禁断症状(?)にも陥りましたし、You Tubeで「寅さん」を見ていましたよ、ハハハ・・・。)
前置きが長くなりましたが、「空気のようにあることがあたり前」だけど、じつは遠く離れても自分を支えてくれているものは、一言でいって文化だと思うのです。(食文化だけではありませんぞ。)それはもうずっと昔からその土地・風土で育まれてきたもので、お金で買えるものでもなく、名も知らぬ人が口ずさんだりしながら受け継がれてきたものといえます。
「カレワラ」はまさにずっと昔のフィンランド人のおじいさん、おばあさんから歌いつがれてきた詩の断片が拾い集められ、そこから形をあらわした民族叙事詩です。エリアス・リョンロートという医者でもあった学者さんが、それこそフィンランド東部カレリア地方からロシア国境をもまたがって徒歩や馬にのりながら(冬はきっとソリで行ったのだろうな。)、詩の語り部をたずね歩いて集めました。集めた詩の組みなおしをし、編集することで広大な叙事詩は生まれました(ただしどこまでをオリジナル(元の形)と見るかどこまでが加筆かは、いまでも論が分かれるそうです)。
発表当時1835年はロシア帝政下に置かれていましたが、自分たちの言葉でどれだけ芸術的な表現ができ、それが水面下で連綿と受け継がれていたことを知ったのです。
そして今日2月28日はカレワラの日です。今年で176年目を迎えます。
そんなカレワラを私がはじめて読んだときの感想は・・・・
「天地創造から始まる。イルマタル(大気の乙女)が波に触れて懐妊する。赤ちゃんはどんどん大きくなって、いざ出産となるのだけど、なかなか生まれない。なぜかと言うと、お母さんの膣があまりにも分厚くて爪をたてても、足で蹴ってもビクともしない。
(おっとぉ、これはお母さんにとってもかなりの難産です)その産みの苦しみは気が遠くなるくらい長く続き、赤ちゃんがやっとでてきた・・・のだけど、時間がかかりすぎておじいちゃんいなってしまっている、カワイソウ!まるで浦島太郎だ。このおじいさん、じつはカレワラの英雄「ヴァイナモイネン」なのです。知恵もあって胆力もあり、かつ釣った魚の骨でカンテレを作り、美しく奏でるすてきな人なのですが、若い乙女アイノさんに振られてしまうのです。英雄なのにと、この点親しみを感じてしまうのはきっと私だけではないはずですね^-^
(この場面、ヘルシンキのアテネウム美術館(アクセル・ガッレンカッレラ作)にあるので、よかったら見てみてください。)
それでは、また。
永井涼子