CRAFT SPACE わのBLOG

カレワラの日

2011年3月 3日 01:28

なんとうっかりしたことでしょう。先日、フィンランドのバレンタインデーの文を寄せてくださった永井さんから「カレワラの日」に寄せての文章を頂いていたのに、肝心なその日を逃してしまいました。

2月28日が、カレワラの日でした。永井さん、ごめんなさい。遅ればせですが、ご紹介します。

 

カレワラの日

 

 「空気のようにまるでそこにあることがあたり前のようで、じつは、かけがえのないものだった」と、ふり返ると誰でも一つくらいは頭をよぎるのではないかなぁと思います。それを実感するのは生まれ育った場所から遠く離れた時ではないでしょうか?友達のフィンランド人Aさんは日本に来てもう長いのですが、帰国のたびにフィンランドから、黒パンやソースなどの類をトランク一杯に詰め込んで帰ってきます。かつAさんは、ここ最近カンテレ(民族楽器)を習い始め、古い詩を歌っている音楽を聞いたりしているようです。たしか、フィンランドでAさんが学生だった時、日本語の漢字を勉強しまくっていたよね?と、なのでAさんの変貌ぶりを意外に感じました。(ただ私にも、身に覚えがあります。恥ずかしながら、無性にお豆腐とお味噌汁が食べたくなる禁断症状(?)にも陥りましたし、You Tubeで「寅さん」を見ていましたよ、ハハハ・・・。)

 

前置きが長くなりましたが、「空気のようにあることがあたり前」だけど、じつは遠く離れても自分を支えてくれているものは、一言でいって文化だと思うのです。(食文化だけではありませんぞ。)それはもうずっと昔からその土地・風土で育まれてきたもので、お金で買えるものでもなく、名も知らぬ人が口ずさんだりしながら受け継がれてきたものといえます。

 

「カレワラ」はまさにずっと昔のフィンランド人のおじいさん、おばあさんから歌いつがれてきた詩の断片が拾い集められ、そこから形をあらわした民族叙事詩です。エリアス・リョンロートという医者でもあった学者さんが、それこそフィンランド東部カレリア地方からロシア国境をもまたがって徒歩や馬にのりながら(冬はきっとソリで行ったのだろうな。)、詩の語り部をたずね歩いて集めました。集めた詩の組みなおしをし、編集することで広大な叙事詩は生まれました(ただしどこまでをオリジナル(元の形)と見るかどこまでが加筆かは、いまでも論が分かれるそうです)。

 

 発表当時1835年はロシア帝政下に置かれていましたが、自分たちの言葉でどれだけ芸術的な表現ができ、それが水面下で連綿と受け継がれていたことを知ったのです。

 そして今日2月28日はカレワラの日です。今年で176年目を迎えます。

 

そんなカレワラを私がはじめて読んだときの感想は・・・・

「天地創造から始まる。イルマタル(大気の乙女)が波に触れて懐妊する。赤ちゃんはどんどん大きくなって、いざ出産となるのだけど、なかなか生まれない。なぜかと言うと、お母さんの膣があまりにも分厚くて爪をたてても、足で蹴ってもビクともしない。

(おっとぉ、これはお母さんにとってもかなりの難産です)その産みの苦しみは気が遠くなるくらい長く続き、赤ちゃんがやっとでてきた・・・のだけど、時間がかかりすぎておじいちゃんいなってしまっている、カワイソウ!まるで浦島太郎だ。このおじいさん、じつはカレワラの英雄「ヴァイナモイネン」なのです。知恵もあって胆力もあり、かつ釣った魚の骨でカンテレを作り、美しく奏でるすてきな人なのですが、若い乙女アイノさんに振られてしまうのです。英雄なのにと、この点親しみを感じてしまうのはきっと私だけではないはずですね^-^

(この場面、ヘルシンキのアテネウム美術館(アクセル・ガッレンカッレラ作)にあるので、よかったら見てみてください。)

 

それでは、また。

 

                            永井涼子   

 

 

 


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