2011年4月25日 23:35
本当のイースターの日から、丸々1日遅れの掲載となりました。毎度のことながら、申し訳ありません。
若葉が芽吹き、きれいな黄緑色の葉っぱをまとっています。震災に見舞われた農家の方は、ほんらいならば種まきを始める希望にあふれた時期なのにとおっしゃっていました。本当の春を取り戻せることを信じて・・・・。
今日は、キリスト教の祝日、イースター(復活祭*十字架にかけられたキリストの復活を祝う日)です。
このイースターの頃になると、水仙の花を町でよくみかけるようになります。ただこの時期の水仙は自然に咲いたものではなくて、花屋さんで売られているものです。そう、雪もとけて大地の色がみえてきたといっても、春はまだ遠い。そんななか子供たちがつくったイースターのお飾り(猫柳の枝にカラフルな羽根や卵をつけたもの)と水仙は春のわくわく感をいち早く伝えてくれているように思いました。
そうそうイースターのお飾りのなかで私には当初「ハテナ?」と思われていたものがありました。それは、「草」なのです。友達がTiimariティーマリ(文具・インテリアの飾りなどを安価で販売しているチェーン店)で草の種を買ってきてくれました。その種をお皿に水をはったものに蒔いておくだけで、草はぐんぐん生長しイースターには立派なミニチュアの芝生畑(!)ができあがっていました。私には、なぜ芝生を育てなければいけないのかさっぱり理由がわかりませんでした。たしかに4月というのにちっとも景色が冬と変わらないなかで、お皿の上だけでも草が青々と茂っていくことに小さな喜びも感じましたが。ある日、友達がそのお皿で育った芝生に、黄色い小さな「ひよこ」を模したものをチョンチョンと置いていきました。緑と黄色の配色がなかなかきれいでした。のちに、ひよこはイースターを象徴する命の輝きと知りました。そのひよこを際だたせるためにも、芝生が必要だったのかもしれません。
イースターの日に春の遠いフィンランドでは、春を積極的にひっぱって来るようだと感じました。
http://opettajatv.yle.fi/paasiainen/perinteet/
イースターのたべもの
イースターのフィンランドの食べ物のひとつに、マンミがあります(スウェーデンにもあるとのことです)。マンミは、いっけん黒くねっとりとしているため、私にはあんこに似ているように思いました。作り方は、ライ麦と大麦をパウダー状にしたものに水を加えよく練り、オーブンで焼き上げたものを3~4日冷所にて寝かせます。そのまま食べてもけっこういけますが、現在では器にもったマンミにお砂糖やクリームをかけていただきます。
私も最初はあんこに食感が似ているためか、はまりました。が、食べ過ぎたあとで舌が「これはあんこではない」と悟ったためか、その後はあまり食べなくなりました。他の外国人には、マンミはどうやらあまり進んで食べたいものではないようでしたが、フィンランド人にはけっこう美味しいもののようです。スーパーにいけば、年中マンミが売られていることがその証明のような気がします。
http://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%A4mmi
(永井涼子)
2011年4月17日 23:31
震災から、早いもので一月が過ぎました。
先日、フィンランドの新聞のHPを見ていたら、けっこう早い段階でフィンランド政府も援助隊を送りたいと申し出ていたとのことでした。受け入れ国から要請があれば、すぐに駆けつけることになっていたそうです。世界各国の英知や援助をたくさんいただいて、一日も早い復興へと向かっていってほしいと願っています。
4月17日は、フィンランドでは「シュロの聖日 Palmusunnuntai」と呼ばれるキリスト教の祝祭日です。なんでも、キリストがエルサレムに到着した日に、人々が衣服にシュロの葉をつけてお迎えしたことに由来するのだそうです。また今日は、イースターからちょうど一週間前にあたります。
この日、フィンランドでは子供たちが魔女の恰好をしてご近所を練り歩き、キャンデーなどのお菓子をもらいに行きます。魔女のいでたちといっても、カラフルな長いスカート、頭には三角巾をつけ、お顔に真っ白に白粉をつけたりしているので、けっこうかわいいのでした。近年、都会などでは、魔女に変身した子供達が親とともに集会所に集まって、催しものに参加したりもしているようです。またスウェーデン語圏では、日本のどんど焼きのように大きな焚き火をたいたりもしていました。
さてさて、お菓子を貰うためには子供たちはあらかじめVitsa(ヴィッチャ)というものを作っておかなければいけません。Vitsaとは猫柳の木の枝に、色とりどりの羽や卵の飾りなどをつけてできる魔法の枝のことです。もともと、植物の枝には邪気をはらうことができるという風習があるということにちなんでいるようです。またどうして猫柳なのかというと、寒すぎるフィンランドにはシュロの木はないということと、猫柳の枝はこの時期に窓辺において置くと若葉がでてきて、それが子供たちのつけた色とりどりの飾りともあい、春を感じることができるからだと思われます。
それでは、魔法のことばを。
「Virvon varvon (ヴィルボン ヴァルボン)
この一年健康でありますように、この魔法の枝をあなたに
ごほうびを私に!」
永井涼子
2011年4月12日 07:27
永井さんから記事が寄せられたのは、少し前で、ちょっと季節がずれてしまいました。
ごめんなさい。
自転車のこと
春本番はまだかなと、待ち遠しい日が続いています(とくに東北地方に春が来てほしいですね)。フィンランドでも被災地への募金が各地で集められたりしているようです。
さて、春といえばフィンランドでは自転車シーズン到来です。冬でも郵便配達の職員さんはヘルシンキでは自転車に乗っていましたが、やっぱり春が来てやっと楽しめるのが自転車です。フィンランドでは自転車用のヘルメットをちゃんとつけて、曲がるときは曲がりたい方向の手を横へ出すなど、なにかこうきちんとした感がありました。道は歩道と自転車道に、真ん中に線をひっぱってあって分かれているので、道を歩いていてもハラハラ感がないところが気に入っていました。でも最初の頃は、よく自転車道を歩いてしまっていて何度注意されたことか・・・。余談ですが、逆に日本では普通にできていた狭い歩道での自転車のかわし方が、フィンランドから帰ってくるとできなくなっていました。また日本式に戻るのもけっこう大変でした~。
フィンランドでは、自転車は私にとって高嶺の花でした。フィンランド国産の自転車(Helkama ヘルカマ社)のものが一番出回っているようで、色とりどりで形もあそび心があるものから硬派なものまであってとっても素敵なのですが、値段は・・・これまたなかなかのものがありました。リサイクルセンターで自転車は売られていたのですが、私の身長と足の長さに合うものはなく・・・。
いつか白樺の新緑がキラキラしている頃に、Helkama自転車でサイクリングしてみたいものです。 永井涼子
2011年4月10日 00:05
ミカエル・アグリコラの日 Mikael Agricola
今日は、満開の桜を見ました。まだまだ大変な春ですが、桜を見るとほっとしますね。
さてさて、今日4月9日はフィンランドではミカエル・アグリコラさんの功績をたたえた記念日です。彼がどんなことを成しとげた人なのか、ちょっぴり当時の背景もかいつまんでお伝えしようと思います。
彼は1510年に、裕福な農家に生まれました。一家には他に3人の娘さんがいたそうで、そのなかでミカエルくんはすくすくと利発な子供に成長していったようです。彼はその賢さから学校へ通う機会にも恵まれました(当時、農家の子供が学校に通うのは、かなり珍しいことだったようです)。その頃学校では話したり、ものを書いたりするのはラテン語でした。またフィンランドは当時、スウェーデン王国の支配下にありスウェーデン語で国が動かされていた時代です。フィンランド語は、民衆が家庭や市場で使うものでした。人々は自分たちの言葉で手紙や本を書けるようになるとは、きっと想像すらしていなかったのではないでしょうか。
そんななか、ミカエルさんは勉強を続け牧師さんになり、1536年にドイツのヴィッテンベルク大学へ留学します(26歳のときですね、若い。)当時そこは宗教改革の真っただ中で、彼はマルティン・ルターとも親しくなることができました。ルターさんに「普通の人がラテン語ではなく、自分の毎日使っている言葉で聖書が読めたらとってもいいね」というようなことを言われて、若き日のアグリコラ氏はとても感銘をうけたそうです。そしてラテン語で書かれた新約聖書のフィンランド語への翻訳にとりかかることになるのです(新約聖書の訳は1548年に完成)。他にもABC本というつづり方や数字の書き方、簡単な説法が書かれた本とRucouskirja bibliasta(聖書より祈りのための本)を出版しています。
ただひと口にフィンランド語を書き表すといっても、はじめての試みには難問がぎっしりあったようです。アグリコラ氏が四苦八苦しながら工夫して書き表したフィンランド語は、その後も改良を重ねられて現在に至っています。
スウェーデンとロシアという大国に挟まれ、時に支配を受けながらもフィンランド語を「書き言葉」としてもう一段上へと押しあげたアグリコラさんでした。パチパチ。
永井涼子