夏真っ盛りのある日。シロクマくんがわが家へやってきた。
彼は、フィンランド人で乳白色の肌をしている。背も大きくて、ひょうひょうとしている。そんなところが白熊に似ていた。そんな彼が生まれて初めて、日本のお風呂に入ることになった。
時は夕刻。シロクマ君がお風呂からでたら夕ごはんを食べようと、私たちは準備万端、待ちかまえていた。ところが、いつまでたっても彼は出てこない。「もしかして、のぼせて倒れているのでは!」と心配になり、声をかけに行く。お風呂の扉越しに、「大丈夫?」と聞いてみる。すると、「へ、大丈夫だよ。 何?」と、ご機嫌な返事が。「そうか、そうか。やっぱり、シロクマ君はお水と仲良しなのね。」、と納得して、私はまたテーブルにつく。結局その1時間後、やっと彼はさっぱりとした顔でお風呂から上がってきた。
「なぜ、そんなに長いことお風呂に入っていられるのか?」、いつも烏の行水といわれる私には不思議でしかたがなかった。後に知ったのは、シロクマ君がずっと湯船につかっているのではないということだった。じつは、彼はこんな湯の入り方をしていた。
1.湯船に入る(その際は窓を全開にしておく)。
2.ちょっと暑くなったと思ったら、お風呂場に上がって涼む。または、体にお水をかける。
3.また湯船につかる。(1~3を何度か繰り返す)。
この入り方、気づけばサウナの入り方とそっくりだ。サウナで十分に温まった後、ほてった体を冷やしに湖で泳いだり、バルコニーで涼んだりする。体が冷えてきたら、再びサウナへ。これを延々とくりかえす。
そう、彼はお風呂をサウナと同じ感覚で入っていた!そして、まるで山深い温泉にいるかのように我が家の小さなお風呂を楽しんでくれたのだった(そういえば、温泉に入る時は日本人も、でたり入ったりを繰り返す)。彼の無意識な行動が、サウナと日本の温泉文化をも結び付けたようだと、私には感じられた。
このできごとから学んだこと。それは、「サウナが好き」という土台があったから日本のお風呂にあんなにも愛着を持ってくれたのかもしれないということだった。そして、フィンランド人にお風呂に入ってもらう時は、「時間はたっぷりと取っておくべし」という教訓を密かに胸に刻んだのだった。 (永井涼子)
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