今日で、8月も終わりです。
今年の夏休みは、いかがでしたか? しばらく、お休みしていた永井涼子さんの寄稿が再開しました。
ある去りゆく夏の日、猫シッターのお鉢が回ってきた。それは、旅行へでかける友人などのかわりに、泊りがけで猫の世話をすることをいう(通いもある)。夏をことさらに謳歌するフィンランド人にとって、どうも町で暇そうにしている留学生がいるとなれば、白羽の矢はいとも簡単に立ってしまう。
友人宅は、ヘルシンキから長距離バスにゆられて30分ほどのところにあった。緑あり自然あり、歩いて5分ほどで湖にもいける。小さな都会のアパートにいるより、はるかに居心地がよさそうだ。猫を飼ったこともなくその点は少々不安だったけれど、「なんとかなるさぁ」と快諾した。
さて、元気よく旅立つ友人一家を見送り、はじめての猫生活がはじまった。猫は2匹だ。1匹は、もう年寄りでひがな一日丸くなっている。もう1匹は、体は大きいがまだやんちゃな子猫だった。野ネズミやスズメを捕まえては、毎日誇らしげに見せに来るので、こちらはいつも肝を冷やした。じつは、老猫と子猫はいっしょにしてはいけないというのが、友達がでかける前に言っていたこの家で唯一のルールだった。老猫は長年きずきあげたテリトリーを侵されたくないのだろう。いつも老猫のいる部屋のドアは閉めて、2匹が鉢合わせしないように気をつけなくてはいけなかった。
2匹の関係はスリリング極まりなかったが、家は新参者にとっては居心地がよかった。他人が泊まるといっても、何も特別なことをされていない空間が広がっていたのだ。ことさら大掃除をされていたわけではないから、こちらも汚してはいけないという緊張感を持たずにすみ、「何でも自由に使って。友達を呼んで、いっしょに寝泊りすれば」との言葉も、大いに気を楽にしてくれた。そんな姿勢を、なんだか大らかでいいなと感じた。
お言葉にあまえて後日、友人を町から呼んでみた。最初は、フィンランド人のように軽やかな姿勢でいようと思っていた。が、気がつけば猫の毛玉が気になり、マットをはたきモップまでかけている自分がいた・・・。