CRAFT SPACE わのBLOG

2011年12月 記事一覧

2011年12月20日 11:05

 一昨日、「Craft spaceわ」のクリスマスの催しへ行ってきました。本物のもみの木のクリスマスツリーからは仄かな芳香がただよい、フィンランド伝統の藁でできた飾りが星や人の形をしてゆれていました。いただいたグロッギ(暖かいぶどうジュースにシナモンなどを加えたクリスマスの飲み物)は、冷えた身体を温めてくれました(美味!)。

 そして、上山美保子さん(翻訳者・通訳者)がフィンランドのクリスマスのお話をしてくれました。歴史や伝統にまつわるお話は、とても興味深いものでした。

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「さむがりやのサンタ」を胸に

 

 子供の頃、好きだった絵本に「さむがりやのサンタ」というのがあった。寒いのが苦手で、ベッドから出るのも一苦労のおじいさんというひとコマから始まる、イブの日のサンタを描いた物語だ。まずはトナカイなどにご飯をあげてから、自分のために紅茶を湧かしハムエッグを作る。日常の細かいところまで描いていたから、手を伸ばせば本当に届きそうな気がした。そして、トナカイのそりに乗ったサンタが空へと滑走していくシーンがでてきて、いつも読んでいるこちらまで空に飛び出したような清々しい気持ちになったものだ。

 

[1] 作者は、レイモンド・ブリックス。日本では福音館書店から1974年に出版されています。http://www.fukuinkan.co.jp/bookdetail.php?goods_id=519

 

 それから大人になって、「サンタの国」と呼ばれるフィンランドで軽いホームシックのようなものにかかった。その時、なぜか無性にこの絵本が読みたくなった。サンタといえば、フィンランドだ。だからこの絵本は必ずあると思い込んでいた。だが、どこの本屋さんにもなかった。図書館でも見つけることはできなかった。少し不思議だったが、その時は諦めた。後日、絵本は結局日本から送ってもらった。

 

 絵本が届いて、2人のフィンランドの友人に絵本を見せた。「この絵本はまだフィンランド語に訳されてないみたいなんだ。本屋を探しても無かったよ」と私は言った。2人は絵本をパラパラとめくって、「あぁ、これはフィンランドのサンタじゃないね」とサラリと述べた。サンタは世界共通だと思っていたので、私の脳裏を一瞬のパニックが掠める。が、この絵本の作者はイギリス人で、じつは絵本のサンタはイギリスサンタなのだった(かといって、この絵本の魅力が損なわれることは決してないのだが)。2人いわく、「フィンランドのサンタは、決して煙突からやってくることはない」のだそうだ。きっと、フィンランド人にはこの絵本のサンタは違和感のあるもので、だから訳されてはいないのだろうと言っていた(確かに、同じ作者[1]の他の名作、例えば「スノーマン」は翻訳されて、本屋さんに置いてある)。フィンランドではサンタは、24日に直接会える人であり、しかもプレゼントを子供も大人も分け隔てなしにくれる。どういうことなのかというと・・・。

 

 24日、家族みんながそれぞれに贈り物を用意してこの日を待ち構えていた。そして、それらは綺麗に包装されてツリーの周りに置かれている。けれど、クリスマスのご馳走をおなか一杯に頬張った後、ふとツリーに目を向けるとプレゼントはなくなってしまっている、でも、慌てることはない。しばらくすると、玄関を叩く音がする。扉を開けるとそこには白い髭をたくわえ、昔々のフィンランドの茶色い服を着た(そう、赤ではないのです!)、サンタが立っている。「ヒュヴァー ヨウルア!(クリスマスおめでとう)!」と、高らかに叫ぶ。それから、暖炉のある居間などに通されて、みんなに贈り物を渡していく。その時も「アンナ、さてどこにいるかな?いい子にしていたかな?」とか、「お父さん、これはあなたにじゃな」などなどサンタらしい気の利いたことを言って渡していく。サンタはこの家の誰かに似ているような気もするけど、みんな(大人も含めて)とても嬉しそうに「わー、すてき!ありがとう!」と、無邪気に喜んでいる。オレンジ色の蝋燭の明かりに照らされた家族みんなの顔は幸せそのもので、やっぱり好きだったあの絵本の雰囲気と重なるなと、心密かに思った。

 

 サンタの行ってしまった後、数時間後、真夜中のミサに行くのが慣わしだ。眠いのだけれど、凍てつく空、星がやけに輝いている雪道を通り、村の教会へでかけていく。私はクリスチャンではないのだけど、参加させてもらったことがある。教会で、この日ばかりはみんなとても穏やかないい顔をしていた。そんな人々を見ていたら、やっぱりこの日ばかりは世界中の人が笑顔で、幸せあってほしいと、初めてそんな気持ちになった。教会の外では、雪が静かに星明りを浴びている。そんなイブの夜だった。

 

(永井涼子)

 

 

 

 

 



 


2011年12月 8日 03:30

「パンケーキの思い出」

 

最近、フィンランドの童話を読んだ。

そのなかにとても食いしん坊な王様の話があった。その王様は、いつもコックが腕によりをかけたご馳走ばかり食べていた。が、ある日のこと、王様は何も美味しいと感じられなくなってしまう。「苺ジャムをかけたパンケーキすら」という記述があって、それが王様の病気(?)の深刻さを表している。

 

パンケーキ、日本ではおそらく食べるとしても一年に一度くらいなのではないだろうか。なので、王様がパンケーキを食べられなくなったとて、悪いけどそこまで同情はできない。一方のフィンランドではパンケーキといったら、一週間に一度は食べているのではないかしらというくらい人気がある。じつは通った大学の学食では、木曜日は必ずパンケーキと豆スープというメニューがあった。他にも2・3別メニューはあるのだが、見ていて大抵8割強の学生は迷うことなく豆スープとパンケーキのセットを選んでいた。しかも苺ジャムは自分でかけてよく、誰もがたっぷりとパンケーキにかけていた。

 

けれど、パンケーキがお店やレストランなどで食べるたまさかのご馳走という訳ではもちろんない。逆に、「誰も」が上手に作って食べる気楽な美味しいものという感じがした。ここで、なぜ「誰もが」と力説してしまうのかというと、それは遡ること数年前に実感してしまったことにある。少し昔話なので、お話のように紹介してみたい。

 

あるところにフィンランド人の男の子がいました。彼は学食が充実しているのをいいことに、いつもお昼は学食で、山のようにジャガイモをお皿に載せて食べていました。夕ご飯は、簡単にパンにチーズを挟むだけの簡単なものですませてしまうのが常でした。この男の子の作戦は、学食でがっちり食べておけば、夜に手の込んだものを作らなくていいということに他なりません。

 

しかしそんなある日のこと、彼のお姉さんが日本人の友達をつれて遊びにやってきました。夕食時になり、二人はお腹が空いた、と大合唱を始めてしまいます。困ったのは、男の子です。「僕、あんまり料理好きじゃないし、冷蔵庫にもそんなに食べ物ないよ」と心の中で思いました。でもこのままではいけないと、男の子は日本人の前に小麦粉・牛乳・卵をボーンとおきました。そして日本人の女の子は、パンケーキを作り始めました。が、どうもうまくいきません。小麦粉を入れすぎてダマになり、牛乳を入れすぎて生地はすっかり台無しに。それもその筈、子供の頃から便利なホットケーキミックスに慣れすぎていたのでしょう。フライパンで焼いても、生地はちっとも固まってもくれません。

 

見かねた男の子は、さも慣れた手つきで小麦粉を生地に加え、フライパンをびっくりするくらい熱く熱し、そこにトロリと生地を流し込みました。いい匂いがしてきます。結局男の子は見事なパンケーキをお皿に山のように作ってくれて、みんなで美味しく食べました。もちろん空っぽに近い冷蔵庫には、大きなビンに苺ジャムが入っていたので、それをたっぷりつけることも忘れないで。 チャンチャン。

 

 当時、驚いたのはあんなに料理嫌いだと思っていた男の子ですら、鉄でできたフライパンを持っていて、パンケーキを美味しく焼けるという事実だった。このことは、いかにパンケーキがフィンランドの食文化に深く根ざしているかを教えてくれた。なので、話は最初に戻るのだけど、王様がパンケーキすら美味しいと感じられない病気はフィンランドの人ならきっと「それは、大変!」と、心底心配してくれるものなのだと思った。

                        (永井涼子)