一昨日、「Craft spaceわ」のクリスマスの催しへ行ってきました。本物のもみの木のクリスマスツリーからは仄かな芳香がただよい、フィンランド伝統の藁でできた飾りが星や人の形をしてゆれていました。いただいたグロッギ(暖かいぶどうジュースにシナモンなどを加えたクリスマスの飲み物)は、冷えた身体を温めてくれました(美味!)。
そして、上山美保子さん(翻訳者・通訳者)がフィンランドのクリスマスのお話をしてくれました。歴史や伝統にまつわるお話は、とても興味深いものでした。
「さむがりやのサンタ」を胸に
子供の頃、好きだった絵本に「さむがりやのサンタ」というのがあった。寒いのが苦手で、ベッドから出るのも一苦労のおじいさんというひとコマから始まる、イブの日のサンタを描いた物語だ。まずはトナカイなどにご飯をあげてから、自分のために紅茶を湧かしハムエッグを作る。日常の細かいところまで描いていたから、手を伸ばせば本当に届きそうな気がした。そして、トナカイのそりに乗ったサンタが空へと滑走していくシーンがでてきて、いつも読んでいるこちらまで空に飛び出したような清々しい気持ちになったものだ。
[1] 作者は、レイモンド・ブリックス。日本では福音館書店から1974年に出版されています。http://www.fukuinkan.co.jp/bookdetail.php?goods_id=519
それから大人になって、「サンタの国」と呼ばれるフィンランドで軽いホームシックのようなものにかかった。その時、なぜか無性にこの絵本が読みたくなった。サンタといえば、フィンランドだ。だからこの絵本は必ずあると思い込んでいた。だが、どこの本屋さんにもなかった。図書館でも見つけることはできなかった。少し不思議だったが、その時は諦めた。後日、絵本は結局日本から送ってもらった。
絵本が届いて、2人のフィンランドの友人に絵本を見せた。「この絵本はまだフィンランド語に訳されてないみたいなんだ。本屋を探しても無かったよ」と私は言った。2人は絵本をパラパラとめくって、「あぁ、これはフィンランドのサンタじゃないね」とサラリと述べた。サンタは世界共通だと思っていたので、私の脳裏を一瞬のパニックが掠める。が、この絵本の作者はイギリス人で、じつは絵本のサンタはイギリスサンタなのだった(かといって、この絵本の魅力が損なわれることは決してないのだが)。2人いわく、「フィンランドのサンタは、決して煙突からやってくることはない」のだそうだ。きっと、フィンランド人にはこの絵本のサンタは違和感のあるもので、だから訳されてはいないのだろうと言っていた(確かに、同じ作者[1]の他の名作、例えば「スノーマン」は翻訳されて、本屋さんに置いてある)。フィンランドではサンタは、24日に直接会える人であり、しかもプレゼントを子供も大人も分け隔てなしにくれる。どういうことなのかというと・・・。
24日、家族みんながそれぞれに贈り物を用意してこの日を待ち構えていた。そして、それらは綺麗に包装されてツリーの周りに置かれている。けれど、クリスマスのご馳走をおなか一杯に頬張った後、ふとツリーに目を向けるとプレゼントはなくなってしまっている、でも、慌てることはない。しばらくすると、玄関を叩く音がする。扉を開けるとそこには白い髭をたくわえ、昔々のフィンランドの茶色い服を着た(そう、赤ではないのです!)、サンタが立っている。「ヒュヴァー ヨウルア!(クリスマスおめでとう)!」と、高らかに叫ぶ。それから、暖炉のある居間などに通されて、みんなに贈り物を渡していく。その時も「アンナ、さてどこにいるかな?いい子にしていたかな?」とか、「お父さん、これはあなたにじゃな」などなどサンタらしい気の利いたことを言って渡していく。サンタはこの家の誰かに似ているような気もするけど、みんな(大人も含めて)とても嬉しそうに「わー、すてき!ありがとう!」と、無邪気に喜んでいる。オレンジ色の蝋燭の明かりに照らされた家族みんなの顔は幸せそのもので、やっぱり好きだったあの絵本の雰囲気と重なるなと、心密かに思った。
サンタの行ってしまった後、数時間後、真夜中のミサに行くのが慣わしだ。眠いのだけれど、凍てつく空、星がやけに輝いている雪道を通り、村の教会へでかけていく。私はクリスチャンではないのだけど、参加させてもらったことがある。教会で、この日ばかりはみんなとても穏やかないい顔をしていた。そんな人々を見ていたら、やっぱりこの日ばかりは世界中の人が笑顔で、幸せあってほしいと、初めてそんな気持ちになった。教会の外では、雪が静かに星明りを浴びている。そんなイブの夜だった。
(永井涼子)
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