風がピュルルーと吹きすさぶと、寒太郎の歌がどこからか聞こえてくる。
それは、「みんなのうた」(NHK)という番組で冬になると流れてくるメロディーだった。いまでも、寒さに震えながら歩いていると、口ずさんでしまう。
「北風小僧の寒太郎、今年も町までやってきた~。ヒューンヒューン、ヒュルルンルンルンルンルン、さむーうござんす、ヒュルルルルルルン♪」
歌っていると、寒い道を歩いているこの瞬間と寒太郎のうたが重なってくるのが、だんだん面白くなってくる。
フィンランドでも、この歌には何度も助けられた。とくに、冬の初め、まだ雪も降っておらず、気温はプラス3度から0度くらいの時だ。周りの人は知らない歌だから、その時は人がいても小さな声で歌ってしまっていたような気がする。「そうか、寒太郎はフィンランドまでやってきてくれたのか、人情に厚いね」と、もし姿が見えるなら、肩でも組んで言ってあげたことだろう。
ところが不思議なことに、気温がマイナスに達した時、寒太郎は私の前から姿を消してしまった。「寒い」という単語すら、頭から消えてしまったかのようだった。代わりにでてきたのは、「爽」という一文字だった。たしかに、空気はひんやりしているし、ダウンジャケットを着ているから大丈夫だったことも確かなのだけど、目の前に広がる白樺林は日の光を浴び、雪もきらめいて、そこは穏やかな静寂さに包まれている。空気の質が軽くなったようだった。
こういう日に散歩をすると、一本の白い道をどこまでも歩いていけるように思えた。そんな時、聞こえてくるのはヴィヴァルディの「四季」の冬の部分だ。気持ちが落ち着いて、どこまでも見渡せる空と雪の情景がそこにはあるようだった。寒いとばかり思っていた冬が、一歩足を踏み入れると色々な表情で待ってくれていた。
でもね、マイナス25度は・・・
けれど、マイナス気温も20度を超えると、大変です。
それは、日本の友達と北極圏のはじまりの地、ロバニエミへ旅をした時のこと。
一晩、寝台列車にゆられ、極北の地にたどり着いた。私たちを待っていたのは、生まれて始めての零下25度だった。
「寒い!」という言葉は吹き飛んでしまった。寒い以上に、寒い!のだ。
もしも、北海道や東北で生まれ育っていたなら、きっとあの寒さを表現する言葉を発せられたのかもしれない。
もう一つ、友達と笑いながら気づいたことは、「バビブベボ」が言えなくなったことだった。口が思うように動かなくなった。北の人々の言葉は、あまり口を動かさずにもいいようにできていると、誰かから聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが、確かに気温があまりにも低いと顔の筋肉を動かすのも、なかなか大変なものだとその時は実感できた。
なので、ここはもちろん、一個人の勝手な解釈なのだけど、フィンランドの冬は
「-3度から-10度くらいが、一番気持ちがいいような・・・」気がする。
でも、きっとどこかに-20度が好きな人もきっといるはず。
(永井涼子)
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