2013年1月 5日 23:55
蛇
今年は蛇年ですね。
蛇というと、日本では水や田の守り神であり、また世界中のいたるところで、脱皮をすることから再生・永遠のシンボルとして崇められてきました。
さて、フィンランドでは蛇*はどんなものだったのかというと・・・。蛇が生息できる南・南東フィンランド地域に限定されますが、ペットのように飼うという風習がありました(フィンランドでは1600年の初めから、その風習に対する記録が残っています)。そこでは、蛇は暖炉のそば・サウナ・床下・納屋など、冬でも暖かい場所で大切にされ、毎日、最初に牝牛から搾った乳は蛇に与えられました。というのも、蛇はその家と、特に牝牛を守る主のような存在としてこの地域では受けとめられていたためです。
こんな昔話が残っています。
家の納屋に蛇が住んでいました。女主人は毎日その蛇に牛乳をあげていました。ある日、新しい男の使用人がやってきました。彼は納屋で蛇が守り神のように飼われていることを知りませんでした。
ある日、仕事を終えた男が、女主人にこう言いました。「納屋に大きな黒い蛇が来たから、始末したよ」と。女主人は真っ青になり、こう言いました。「おまえは今、この家で一番の牝牛を殺してしまった」と。納屋に2人で行ってみると、案の定、一番の牝牛は死んでいました。
蛇と家の牝牛がまるで運命共同体のように考えられていたことが伺える昔話です。他にも、蛇に牛乳を与えている家では、牝牛がたくさん乳を出してくれ、ひいては家が栄えると信じられていました。
*この蛇は、フィンランド語ではrantakäärme(ランタカールメ)。ヨーロッパヤマガカシの仲間。ヤマガカシといってもフィンランドの蛇に毒はありません。
2012年5月13日 04:17
新緑ですね
緑がきれいですね、このところ。
新緑の季節は、フィンランドでもあとひと月もすれば始まる頃です。白樺のみずみずしい黄緑色の小さな葉っぱが、生まれたての赤ちゃんみたいに輝きます。この頃は、「フィンランドって、本当に爽やかなんだわー」と、冬の長かったことも忘れてうっとりしていました。今日は、そんな時の何気ない思い出をひとつ。
6月の終わりごろ、私は友のミンナさんと彼女の叔母さん、叔母さんのだんなさんとドライブをしたことがありました。その時も、白樺の葉が太陽の光をあびて、チロチロ・キラキラとまぶしいくらいでした。
叔母さんはハンドルを握りながらも、目に入ってくる緑に魅了されていたせいか、
「おお、緑、緑、緑!」と、子供のように歓声をあげています。しかも、運転している間中ずっと・・・(運転にはそれでも支障はないようでしたが)。
私の友達は、叔母さんとは仲良しなので遠慮なく、
「そんなに何度も言わなくたっていいじゃない!」と、呆れて怒っていました。それでも叔母さんは言い続けていたように記憶しています。強い。私もじつは、心の中で「緑だ、緑だ」とウキウキしていたので、おばさんのことは何も言えません。
新緑の季節もあっと言う間に過ぎてしまうのですが、あともう少し楽しみたいですね。
(永井涼子)
2012年4月17日 13:01
先日、フィンランドの女友達と国立の夜桜を見に行きました。
桜並木が、大学どおりに沿ってふわーっと咲き誇り、ちょうどいい時期でした。
その桜の木の下で、クリーム色の髪を肩までふんわりと下ろしている彼女は、まるで桜の精のようで、じつは私はちょっとドキドキしてしまいましたヨ。
それから、桜が見渡せる夜の喫茶店でお茶を飲むことにしまして。
桜を見ながら、近況やこれからのことを語り合っていたら、「異国にいて、恋しくなる景色は何か」というお題になっていきました。
彼女にとって、それは「水の景色」でした。
「フィンランドでは、いつも水の近くにいたから。実家の目の前に湖があったし、大学のあるヘルシンキでも、海がすぐ近くにあった。日本だと太陽は、山やビルに隠れてしまうけど、水ぎわだと、沈んでいくのも昇るのも最初から最後まで見えて・・・。」
「そうそう、あの静かにどこまでも広がる水平線は、海と空が交じり合って、なんだか心がすーっと穏やかになっていくんだよね」と、ひとしきり会話に花が咲きました。
「あなたは?」 と聞かれて、
「私は、桜を思っていたなぁ」と、言いました。
思えば、冬のフィンランドで、雪が木の枝にほっかりと積もっている景色が好きでした。それは、桜の花が満開に咲いているように見えたので、それがうれしかったのです。「森へ歩いて行って、そんな雪が降り積もった木を、眺めたこともあったんだ」と、彼女に伝えました。
喫茶店から、駅へと向かう帰り道、私には不思議なことがありました。
桜を見ていたら、フィンランドで降り積もっていた雪を今度は思い出してしまった・・・。
(永井涼子)
2012年4月10日 10:39
トマト
トマトがあると、けっこう嬉しかったりしませんか?
赤く丸く、緑のヘタをちょこんとつけたその姿。夏はそのまま塩をつけていただくだけでおいしい。
トマトにはけっこうお世話になっている。
フィンランドで始めての一人暮らしの時は、市場によく"トマト袋"を買いに行った(トマト袋は勝手に名づけたのだけど)。熟れすぎたトマトが袋にパンパンに入れられていて、1ユーロか2ユーロで売られているものだ。それを使って、トマトソースをよく作り、スパゲティばかり食べていた(ようは、私に料理の腕がなく、満足に作れるのは当時それくらいだったのだ)。まるで、イタリア人並みに食べていたのではないだろうか。
トマトをよく食べていたせいか、縁あって、夏にフィンランドのトマト農家でアルバイトをすることになった。ビニールハウスで栽培されているが、日が沈まない白夜も関係して、トマトの生長は早い。農家にしてみれば、猫の手も借りたい忙しさだったのだろう。
バスにゆられてたどり着いた農家では、だんなさんとおかみさんが迎えてくれた。まず、だんなさんは、どんなトマトがAクラスで、小ぶりだったりするとBクラスになるかを教えてくれる。そして、摘み取ったトマトをAのカゴかBのカゴにいれるのが仕事だった。「はい、わかりました!」と返事はよかった私だが、いざ始めてみると「君は、大きいのか、小さいのか?」とトマトに心の中で聞いてばかりいた。トマト一つでも、AかBかなんて単純に割り切れるものではないなと思った。
そんな思いを察したのか、だんなさんとおかみさんが飛んできた。おかみさんは、私がBのカゴにほおったトマトをみて、
「まぁ、これは王様のトマトよ!Aでしょ!」
と、驚きの声をあげた。わたしにはトマトを見分ける才能(?)がないのだと、瞬く間に落ち込んだ。が、次の瞬間だんなさんが、
「え、そう?これでいいんじゃないの?」
と、言った。3人の間を、戸惑いの空気が流れていった。
今でもトマトを見ると、あの時の情景が思い浮かび、ときどき苦笑する。バイトを終えて帰るときに、おかみさんが山のように熟したトマトをお土産にくれたことはいい思い出だ。でも、やっぱり本音を言えば、トマトが大きかろうが小さかろうが味に変わりはないと思った(やっぱり向いていなかったのね・・)。でも、夜、目をつぶると鮮やかなトマトの大群がまぶたの裏に浮かんでくるという不思議な感覚があって、あれはオモシロかったな~。
最後に、蛇足だけど、トマトは体を冷やす作用があるとのこと。冷え性の人は、たくさん食べるとしんどくなりますよ、ご注意!私も気をつけようと思います。
(永井涼子)
2012年3月 5日 17:40
久々に、永井さんが文章を送ってくださいました。
ここのところ間が開いているな、と思ったら風邪ひきだったのですね。
どうぞ、お大事に!
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最近、風邪をひいてしまいました。
じつは今も進行中。周りの人はよくひいていたのだけど、自分だけは大丈夫と高をくくっていたのが運のツキ。子供の頃は、「暴れん坊将軍」の再放送を気楽に見ていただけの風邪ひきだったのに。でも大人になると、「早く治さなきゃ」と焦るばかりのこの頃だ。
それで色々やってみた。蜂蜜とショウガを摩り下ろしたのを飲んだし、知人から進められたニンニク焼きにも挑戦してみた(生焼けだったらしく、涙がでるほど胃にきてしまった)。一進一退を繰り返している気がする。
今朝もうつらうつらしていた。が、その時に黒いマントが翻っている夢を見た。起きて思い出した。あれは、かつてのルームメートの女の子。ドイツ人で、とてもきれいな人だったけど、なぜか、いつも全身黒ずくめ。筆箱やシーツなど身の回りのものも、黒一色に染まっていた。時々、服の裏地が赤いこともあったりして、ドキッとしたこともあった。性格もいいし、黒より他の色を着ても似合うのにと、よく思った。でも、逆に黒が彼女の魅力をいっそう引き立てていたのかもと今は思う。
そんな彼女は、フィンランド人のボーイフレンドがすぐできた。5人暮らしの女の子だけのアパートに、彼は緊張するでもない。いつも気楽に台所でコーヒーを飲みながら、みんなと談笑していた。すぐに景色の一部のように、みんなにとけ込んでいたのは、見事というより他はなかった。
ある日、そんな彼は風邪をひいた。それで彼女は、すぐにまず大きな鍋にお湯を沸かし始めた。
お湯が沸いたら、彼女は持っているありったけのハーブティー、紅茶のパックを鍋に惜しみなく投げ入れる。ちょっとグツグツさせて、そのあと、芳香ただよう液体を洗面器に注いだ。最後に、ボーイフレンドに、洗面器のほうに顔を近づけるように言った。彼が恐る恐る(?)顔を近づけた後、彼女はバスタオルをパッと頭にかけて、数分そのままにさせていた。熱くなったら、何回かタオルから頭を出していたけど、たぶん30分くらいは続けていたようだった。治療はそれでおしまい。
「へー、面白いなぁ」と、その頃、私はのんきに見物していた。あの後、彼が何と言っていたのか覚えてはいないけど、ますます黒ずくめの彼女にぞっこんになっていったのは間違いない。ずーっと、思っていた、「ルームメートは魔女みたいだ」と。あれは、治療というより魔術なのだと感じていた。
今日、そのまねっこをしてみた。家には、ハーブティーはない。なので、ドクダミにした。バスタオルを頭まで被ってドクダミ茶の入ったボールに顔を近づける。「あら。この世にボールとドクダミしかなくなったような静けさが・・・」
蒸気がホカホカと顔をあたため、いままでぐすっていた鼻から息が吸える!汗をたくさんかいて、タオルをとったら、空気が爽やかだ。「汗をかくのも、風邪にはいい!」と、再発見した。
蛇足だけど、これはプチサウナのようなものかもしれない。蒸気もでるし、ホワホワ暖かいので。そういえば、フィンランドでは病気の時の民間療法として、昔からサウナに入る・ウォッカを飲む・木でできたタールを傷口に塗るというのがありました。諺にもなっている。
「もし、サウナもウォッカも、タールも効かなかったらお手上げよ (死んでしまうよ)・・」 怖い・・・。
ちなみに、私にはなんとか、ドイツの魔女の技が効いてきたようです。まだまだお手上げにはならないゾ、フィンランドの諺さん。
(永井涼子)
2012年2月 4日 10:36
昔、靴下を洗濯した後なぜか片方が見つからないことがよくあった。探している時は、大抵どこかへ出かける朝のことで、本当に大慌てだった。
今は、靴下探しに翻弄されることは少なくなった。が、5本指の靴下がたんすに入っていない時は、「しまった!」と慌てることはよくある。5本指のそれはふとしたことでいただいて、そのすっかり病みつきになってしまった。指が一本ずつ分けられているせいか、普通の靴下のようなギュッとした感じがないのが、うれしい。
フィンランドでも、愛用していた。履いていると決まって、
「カエルみたい」
「おサルの足?」
と、現地の人に訝しげに笑われる。それで、その汚名(?)を取り払うべく、「気持ちいいよ」と伝えるために、親しくしていた人にプレゼントをしたことがある。始めは、不思議がっていても、履いてみると良さが分かってくるものらしい。後日、日本からの友人が遊びにくるとたまたま話すと、「あれ、頼んでもいいかな?」なんて注文を受けることもあった。
5本指靴下が日本のものなら(たぶん)、逆にフィンランド、北欧ならではの靴下は「手編み」のものだ。もっていない人はいないと言ったら大げさかもしれないけど、それくらい使われる頻度は高い。夏でもサウナの後に、ほてった足先に何年も使い古されたそれをゆるりと履く。冬は、普通の靴下の上に毛糸の靴下を履けば、足先が冷えずにすむ(ちなみに、お家の中ではしっかりめのサンダルも、四季を問わずに履いている)。どこかのお宅に訪問する時も、カバンにこれをそっと忍ばせておく。そうすれば、少し寒さを感じたらそれをすぐにスッと出して、何気なく身につける(日本のように、来客者にスリッパをだす習慣はないので)。
どこで手編みの靴下を手に入れるのかというと、もちろん小さなお店や市場(青空マーケット)でも買える。けれど友達を見ていると、大半は家族や親戚・または近所などの近しい人が編んでくれたもののようだ。「ちょっと編んであげたよ」と手渡してくれる。人の和から生まれてくるものなのねと、ジーンとした。ただそんなに特別なことではないようで、「フィンランドの靴下文化に感動したよ!」と、友達に伝えてもあまり分かってもらえなかったような・・・・
それから、靴下を編めるようになりたくなり、たまたま遊びに行った友達のおばあちゃんに頼んでみた。友達のおばあちゃんが快く教えてくれることになったのだが、いままでマフラーしか編んだことの無い者には、「手編み靴下峠」越えは、まさにヒマラヤの如しだった。結局、峠に到達することは叶わず、下山した。後日、友達が「ほら、これおばちゃんが渡してくれって」と茶色の包み紙をくれた。中には桃色の靴下が入っていた。そういえば、おばあちゃんとお茶を飲んだ時に「あなたの足のサイズは?」と聞いてくれたっけ。
結局、編めずじまいにいるけれど、おばちゃんが編んでくれた靴下はいまでも重宝している。
(写真は、そのおばあちゃん靴下です。それと、冬になると大活躍のフェルトの部屋履きです。 永井涼子)
2012年1月15日 23:17
風がピュルルーと吹きすさぶと、寒太郎の歌がどこからか聞こえてくる。
それは、「みんなのうた」(NHK)という番組で冬になると流れてくるメロディーだった。いまでも、寒さに震えながら歩いていると、口ずさんでしまう。
「北風小僧の寒太郎、今年も町までやってきた~。ヒューンヒューン、ヒュルルンルンルンルンルン、さむーうござんす、ヒュルルルルルルン♪」
歌っていると、寒い道を歩いているこの瞬間と寒太郎のうたが重なってくるのが、だんだん面白くなってくる。
フィンランドでも、この歌には何度も助けられた。とくに、冬の初め、まだ雪も降っておらず、気温はプラス3度から0度くらいの時だ。周りの人は知らない歌だから、その時は人がいても小さな声で歌ってしまっていたような気がする。「そうか、寒太郎はフィンランドまでやってきてくれたのか、人情に厚いね」と、もし姿が見えるなら、肩でも組んで言ってあげたことだろう。
ところが不思議なことに、気温がマイナスに達した時、寒太郎は私の前から姿を消してしまった。「寒い」という単語すら、頭から消えてしまったかのようだった。代わりにでてきたのは、「爽」という一文字だった。たしかに、空気はひんやりしているし、ダウンジャケットを着ているから大丈夫だったことも確かなのだけど、目の前に広がる白樺林は日の光を浴び、雪もきらめいて、そこは穏やかな静寂さに包まれている。空気の質が軽くなったようだった。
こういう日に散歩をすると、一本の白い道をどこまでも歩いていけるように思えた。そんな時、聞こえてくるのはヴィヴァルディの「四季」の冬の部分だ。気持ちが落ち着いて、どこまでも見渡せる空と雪の情景がそこにはあるようだった。寒いとばかり思っていた冬が、一歩足を踏み入れると色々な表情で待ってくれていた。
でもね、マイナス25度は・・・
けれど、マイナス気温も20度を超えると、大変です。
それは、日本の友達と北極圏のはじまりの地、ロバニエミへ旅をした時のこと。
一晩、寝台列車にゆられ、極北の地にたどり着いた。私たちを待っていたのは、生まれて始めての零下25度だった。
「寒い!」という言葉は吹き飛んでしまった。寒い以上に、寒い!のだ。
もしも、北海道や東北で生まれ育っていたなら、きっとあの寒さを表現する言葉を発せられたのかもしれない。
もう一つ、友達と笑いながら気づいたことは、「バビブベボ」が言えなくなったことだった。口が思うように動かなくなった。北の人々の言葉は、あまり口を動かさずにもいいようにできていると、誰かから聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが、確かに気温があまりにも低いと顔の筋肉を動かすのも、なかなか大変なものだとその時は実感できた。
なので、ここはもちろん、一個人の勝手な解釈なのだけど、フィンランドの冬は
「-3度から-10度くらいが、一番気持ちがいいような・・・」気がする。
でも、きっとどこかに-20度が好きな人もきっといるはず。
(永井涼子)
2011年12月20日 11:05
一昨日、「Craft spaceわ」のクリスマスの催しへ行ってきました。本物のもみの木のクリスマスツリーからは仄かな芳香がただよい、フィンランド伝統の藁でできた飾りが星や人の形をしてゆれていました。いただいたグロッギ(暖かいぶどうジュースにシナモンなどを加えたクリスマスの飲み物)は、冷えた身体を温めてくれました(美味!)。
そして、上山美保子さん(翻訳者・通訳者)がフィンランドのクリスマスのお話をしてくれました。歴史や伝統にまつわるお話は、とても興味深いものでした。
「さむがりやのサンタ」を胸に
子供の頃、好きだった絵本に「さむがりやのサンタ」というのがあった。寒いのが苦手で、ベッドから出るのも一苦労のおじいさんというひとコマから始まる、イブの日のサンタを描いた物語だ。まずはトナカイなどにご飯をあげてから、自分のために紅茶を湧かしハムエッグを作る。日常の細かいところまで描いていたから、手を伸ばせば本当に届きそうな気がした。そして、トナカイのそりに乗ったサンタが空へと滑走していくシーンがでてきて、いつも読んでいるこちらまで空に飛び出したような清々しい気持ちになったものだ。
作者は、レイモンド・ブリックス。日本では福音館書店から1974年に出版されています。http://www.fukuinkan.co.jp/bookdetail.php?goods_id=519
それから大人になって、「サンタの国」と呼ばれるフィンランドで軽いホームシックのようなものにかかった。その時、なぜか無性にこの絵本が読みたくなった。サンタといえば、フィンランドだ。だからこの絵本は必ずあると思い込んでいた。だが、どこの本屋さんにもなかった。図書館でも見つけることはできなかった。少し不思議だったが、その時は諦めた。後日、絵本は結局日本から送ってもらった。
絵本が届いて、2人のフィンランドの友人に絵本を見せた。「この絵本はまだフィンランド語に訳されてないみたいなんだ。本屋を探しても無かったよ」と私は言った。2人は絵本をパラパラとめくって、「あぁ、これはフィンランドのサンタじゃないね」とサラリと述べた。サンタは世界共通だと思っていたので、私の脳裏を一瞬のパニックが掠める。が、この絵本の作者はイギリス人で、じつは絵本のサンタはイギリスサンタなのだった(かといって、この絵本の魅力が損なわれることは決してないのだが)。2人いわく、「フィンランドのサンタは、決して煙突からやってくることはない」のだそうだ。きっと、フィンランド人にはこの絵本のサンタは違和感のあるもので、だから訳されてはいないのだろうと言っていた(確かに、同じ作者の他の名作、例えば「スノーマン」は翻訳されて、本屋さんに置いてある)。フィンランドではサンタは、24日に直接会える人であり、しかもプレゼントを子供も大人も分け隔てなしにくれる。どういうことなのかというと・・・。
24日、家族みんながそれぞれに贈り物を用意してこの日を待ち構えていた。そして、それらは綺麗に包装されてツリーの周りに置かれている。けれど、クリスマスのご馳走をおなか一杯に頬張った後、ふとツリーに目を向けるとプレゼントはなくなってしまっている、でも、慌てることはない。しばらくすると、玄関を叩く音がする。扉を開けるとそこには白い髭をたくわえ、昔々のフィンランドの茶色い服を着た(そう、赤ではないのです!)、サンタが立っている。「ヒュヴァー ヨウルア!(クリスマスおめでとう)!」と、高らかに叫ぶ。それから、暖炉のある居間などに通されて、みんなに贈り物を渡していく。その時も「アンナ、さてどこにいるかな?いい子にしていたかな?」とか、「お父さん、これはあなたにじゃな」などなどサンタらしい気の利いたことを言って渡していく。サンタはこの家の誰かに似ているような気もするけど、みんな(大人も含めて)とても嬉しそうに「わー、すてき!ありがとう!」と、無邪気に喜んでいる。オレンジ色の蝋燭の明かりに照らされた家族みんなの顔は幸せそのもので、やっぱり好きだったあの絵本の雰囲気と重なるなと、心密かに思った。
サンタの行ってしまった後、数時間後、真夜中のミサに行くのが慣わしだ。眠いのだけれど、凍てつく空、星がやけに輝いている雪道を通り、村の教会へでかけていく。私はクリスチャンではないのだけど、参加させてもらったことがある。教会で、この日ばかりはみんなとても穏やかないい顔をしていた。そんな人々を見ていたら、やっぱりこの日ばかりは世界中の人が笑顔で、幸せあってほしいと、初めてそんな気持ちになった。教会の外では、雪が静かに星明りを浴びている。そんなイブの夜だった。
(永井涼子)
2011年12月 8日 03:30
「パンケーキの思い出」
最近、フィンランドの童話を読んだ。
そのなかにとても食いしん坊な王様の話があった。その王様は、いつもコックが腕によりをかけたご馳走ばかり食べていた。が、ある日のこと、王様は何も美味しいと感じられなくなってしまう。「苺ジャムをかけたパンケーキすら」という記述があって、それが王様の病気(?)の深刻さを表している。
パンケーキ、日本ではおそらく食べるとしても一年に一度くらいなのではないだろうか。なので、王様がパンケーキを食べられなくなったとて、悪いけどそこまで同情はできない。一方のフィンランドではパンケーキといったら、一週間に一度は食べているのではないかしらというくらい人気がある。じつは通った大学の学食では、木曜日は必ずパンケーキと豆スープというメニューがあった。他にも2・3別メニューはあるのだが、見ていて大抵8割強の学生は迷うことなく豆スープとパンケーキのセットを選んでいた。しかも苺ジャムは自分でかけてよく、誰もがたっぷりとパンケーキにかけていた。
けれど、パンケーキがお店やレストランなどで食べるたまさかのご馳走という訳ではもちろんない。逆に、「誰も」が上手に作って食べる気楽な美味しいものという感じがした。ここで、なぜ「誰もが」と力説してしまうのかというと、それは遡ること数年前に実感してしまったことにある。少し昔話なので、お話のように紹介してみたい。
あるところにフィンランド人の男の子がいました。彼は学食が充実しているのをいいことに、いつもお昼は学食で、山のようにジャガイモをお皿に載せて食べていました。夕ご飯は、簡単にパンにチーズを挟むだけの簡単なものですませてしまうのが常でした。この男の子の作戦は、学食でがっちり食べておけば、夜に手の込んだものを作らなくていいということに他なりません。
しかしそんなある日のこと、彼のお姉さんが日本人の友達をつれて遊びにやってきました。夕食時になり、二人はお腹が空いた、と大合唱を始めてしまいます。困ったのは、男の子です。「僕、あんまり料理好きじゃないし、冷蔵庫にもそんなに食べ物ないよ」と心の中で思いました。でもこのままではいけないと、男の子は日本人の前に小麦粉・牛乳・卵をボーンとおきました。そして日本人の女の子は、パンケーキを作り始めました。が、どうもうまくいきません。小麦粉を入れすぎてダマになり、牛乳を入れすぎて生地はすっかり台無しに。それもその筈、子供の頃から便利なホットケーキミックスに慣れすぎていたのでしょう。フライパンで焼いても、生地はちっとも固まってもくれません。
見かねた男の子は、さも慣れた手つきで小麦粉を生地に加え、フライパンをびっくりするくらい熱く熱し、そこにトロリと生地を流し込みました。いい匂いがしてきます。結局男の子は見事なパンケーキをお皿に山のように作ってくれて、みんなで美味しく食べました。もちろん空っぽに近い冷蔵庫には、大きなビンに苺ジャムが入っていたので、それをたっぷりつけることも忘れないで。 チャンチャン。
当時、驚いたのはあんなに料理嫌いだと思っていた男の子ですら、鉄でできたフライパンを持っていて、パンケーキを美味しく焼けるという事実だった。このことは、いかにパンケーキがフィンランドの食文化に深く根ざしているかを教えてくれた。なので、話は最初に戻るのだけど、王様がパンケーキすら美味しいと感じられない病気はフィンランドの人ならきっと「それは、大変!」と、心底心配してくれるものなのだと思った。
(永井涼子)
2011年10月13日 01:32
秋になると、紅葉が待ち遠しくなります。
そんな"紅色"、一色の刺繍にフィンランドで出会いました。フィンランド語でkäspaikka(カァスパイッカ)といい、フィンランド東部の伝統的な手芸です。綿や麻の布地に、赤い糸だけで縫っていくシンプルなものですが、どこか懐かしい感じがします。
古くから、女性たちは家事や仕事の合間をぬって作っていました。基本の模様は鳥と木なのですが、作り手の自由な発想によってさまざまな形になっています。似ているパターンはあるけれど、きっとまったく同じものはないのでしょう。鳥は、ずっと昔から使われてきたモチーフなのだそうです。卵を産むことから、"生"をあらわしているようです。木は、この地方の民間伝承から「生命の木」と呼ばれています。亡くなった人の魂がこの木をつたって、天へと昇っていくと信じられていました。
またこの地方(フィンランド東部)はロシアと隣接することからも、ロシア正教の影響が強い地域です。作品を見ると、鶏によく似た鳥の中に十字架が描いてあり、そんなところからも宗教的な意味合いがうかがえます。もともと、イコンの枠上を飾り、洗礼式には神父さんの手を拭くものでした。 他には、お客さんにナプキン代わりにあげて、パンくずなどが床に落ちないようにするという使い方もありました。あとは、お嫁入りの時には、お嫁さんが何枚も手作りでこしらえたものが、相手の親戚への贈り物となりました。これで、お嫁さんの手芸の実力のほどが計られたのでした。
伝統的な美しい作品は、ヴイルッキさんの手工芸博物館のホームページをどうぞ。http://www.kolumbus.fi/virkki-museum/kaspaikat.htm
ちなみに、週末「芸術の秋!」には遠く及ばないのですが、昔のフィンランドに思いを馳せつつ、作ってみましたkäspaikka。といっても、大きな作品の一部分だけ好きなところを抜き取った、とても小さなものです。たまに針が指に刺さりながらも縫い、鶏君が姿を現しました^-^ (永井涼子)