わのフィンランド

Tove Jansson

トーベ.ヤンソン。ムーミンの生みの親として世界的に有名な彼女の名を、聞いたこともない、という人はまずいないでしょう。ヤンソンは、ムーミン童話以外に大人向けの小説も多く発表しており、一般には作家としての顔が良く知られているかもしれません。しかしヤンソン本人は、自身を何よりもまず画家であると考えていた、とも言われています。

ヤンソンは芸術家の家庭に生まれました。スウェーデン系フィンランド人の父ヴィクトルは彫刻家、スウェーデン生まれの母シグネ・ハンマルステンは画家・イラストレーター。ふたりの弟たちもそれぞれ芸術の道に進んでいます。
1930 年から3年間、ヤンソンは母シグネの出身校でもあるストックホルム工芸専門学校に通い、1933年の秋から1937年までは、かつて父ヴィクトルも在籍したヘルシンキのアテネウム芸術大学で学びました。しかし、芸術大学を修了するずっと以前から、彼女はすでに画家だったのです。1929年に雑誌「アッラス・クロニカ」にイラストが掲載されたのが画家としてのデビュー。翌年には、母シグネもイラストを描いていた政治風刺雑誌「ガルム」に風刺画を描き、同誌には廃刊となる1953年まで作品を発表し続けました。
1992年~1993年には、画家ヤンソンの大規模な作品展が、ヘルシンキをはじめとするフィンランド各地およびストックホルムで開催されました。

壁画

ヤンソンは、主に1940年代後半から1955年ごろにかけて、ヘルシンキ市庁舎のフレスコ画、アウロラ子ども病院(ヘルシンキ市)の壁画、ハミナ市庁舎の壁画、テウヴァ教会の聖壇画などを描きました。また1984年にはポリ市の保育園の壁画を手がけています。
現在、ヤンソンの壁画の一部がArbis(ヘルシンキ市のスウェーデン語系成人学校)に所蔵されています。
http://www.hel.fi/arbis/OM/jubila.htm
(スウェーデン語、一部英語・フィンランド語)

本の挿絵

ヤンソンが執筆したムーミン童話の世界は、ヤンソン本人の手になる挿し絵なくては成立しません。加えてヤンソンは、トールキンの『ホビットの冒険』、キャロルの『不思議の国のアリス』『スナーク狩り』など、ほかの作家の作品の挿し絵も描いています。
その他、月刊誌や週刊誌など、大人向けにも子ども向けにも多くの刊行物に挿し絵を描きました。またイギリスの「イブニング.ニュース」紙に連載したムーミン.コミックは、ヤンソンとムーミンの名を世界に広めるきっかけとなりました。
絵本も手がけており、『それからどうなるの?』『さびしがりやのクニット』『ムーミン谷へのふしぎな旅』の3冊と、写真を使った『ムーミン屋敷の奇妙な客』があります。

(古市真由美)

Tove Janssonの作品